镜子法则案例
この物語は、登場人物の名前や職業などを変えていますが、実話に基づいています。
案例为真实事件,出场人物的名字或职业等为虚构。
PART 14
電話をきって間もなく、優太が帰ってきた。
挂了电话没一会儿,优太就回来了。
優太はランドセルを玄関に投げると、いつものようにグローブとボールを持って、公園に行った。
优太把双肩背书包扔到玄关,就像平常一样,拿着棒球手套和球去公园了。
昨日友達に追い出されたというのに、この子はまた公園に行くのだろうか、と栄子の心は心配でいっぱいになった。
昨天被朋友赶了出来,这孩子又去公园了啊!荣子担心极了。
しかし、栄子は、その心配な気持ちをまぎらわすように宿題に取りかかった。
但是荣子放下担心开始写家庭作业。
父に対して感謝できることがたくさん思い浮かんだ。
脑海里浮现出了很多能对父亲表示感谢的事情。
「父に感謝できること」
“能感谢父亲的事”
•現場監督のきつい仕事を続けて、家族を養ってくれた。
坚持着现场监督的辛苦工作养家。
•私が子どものころ、夜中に高熱を出したことが何度かあったが、その都度、車で救急病院まで連れて行ってくれた(肉体労働をしていた父にとって、夜中はしんどかったはず)。
小时候,我无数次半夜发高烧,每次爸爸都开车带我去医院急诊(对于从事体力劳动的父亲来说,半夜应该很累)。
•私が子どものころ、よく海や川に連れて行ってくれて、泳ぎを教えてくれた。
小时候,经常带我去海边河边,教我游泳。
•子どものころ私はメロンが好きだったが、毎年の私の誕生日には、メロンを買って帰ってきてくれた。
小时候我喜欢蜜瓜,每年过生日,父亲都给我买回来。
•子どものころ近所のいじめっ子にいじめられていたことがあったが、その子の家に抗議しに行ってくれた。
小时候我被附近的淘气包欺负,父亲去那个孩子家抗议。
•私は私立大学に入ったが、文句を言わず学費を出してくれた(当時のわが家にとって、大きな負担だったはず)。
我考上了私立大学,父亲毫无怨言的给我出学费(当时那对于我家来说是很大的负担)。
•私の就職先が決まったときに、寿司を出前で取ってくれた(とても豪華な寿司だった。そのとき私は「寿司は好きじゃない」と言って食べなかった。父はしょんぼりしていた)。
我找到工作了,父亲给我叫了寿司外卖(特别高级的寿司。那时我没吃,还说“我不爱吃寿司”。父亲垂头丧气的)。
•「自分にもしものことがあったときのために」と、私たち兄弟ひとりずつの口座をつくり、月々わずかの金額であるが、貯金をしてくれていた(そのお金を父は、結婚式の前日に私に渡そうとしたが、私は「持ち歩けないので、振り込んでもらうほうがいい」と言って、その場では受け取らなかった)。
“我怕自己有个意外”,父亲说道,给我们兄弟姐妹每个人都开了个银行账户,每个月稍微有点儿钱就给我们存起来(我结婚典礼前***,父亲想把那笔钱给我,但我那时没要,说“我拿着没法走,你给我转账多好”)。
「感謝したいこと」に連鎖して「謝りたいこと」も浮かんできた。
连锁着“想感谢的事情”,脑海里浮现出了“想道歉的事情”。
それらを書き出しながら、涙が浮かんできた。
边写边哭。
「私は、こんなにも愛されていた。反発する私を、愛しつづけてくれていたんだ。私は、ゆるせないという思いにとらわれていたから、その愛に気づかなかったんだ。そして、こんなにも愛してもらいながら、私は父に何もしてあげてない。親孝行らしいこともほとんどしていない」
“我这么被爱着。一直爱着叛逆的我。我陷在无法原谅的思绪中,没注意到爱。而且父亲这么爱我,我却什么都没有为父亲做过。根本没有尽过孝道。”
自分が父親の仕事を尊敬していなかったことにも気づいた。
也意识到了自己不尊敬父亲的工作。
父親の現場監督の仕事に対して、「品がない」とか「知的でない」とか思っていた。父親が仕事を頑張りつづけてくれたおかげで、自分は大学まで行かせてもらえたというのに。そのことに初めて気づいた。父親の仕事に対して、尊敬心と感謝を感じた。
对父亲从事的现场监督的工作,我觉得“没品”或者“没知识气息”。明明托父亲不断努力工作的福,我才能上大学的。我***次意识到这一点。我对父亲的工作有了尊敬和感谢的感觉。
そして今、自分は夫の仕事に対して、「知的でない」というイメージをもっている。夫に対する「教養がない」という嫌悪感をともないイメージは、父に対してもっていたイメージとそっくりである。父への味方が変わって、父に感謝することができたのだから、夫に対しても感謝できることがたくさんあるのではないだろうか。
而且现在,我对丈夫的工作,也有着“没知识气息”的印象。我对丈夫的“没文化”的厌恶感,和对父亲的印象,非常像。对父亲的看法变了,能够感谢父亲了,因此,我对丈夫不也有很多能够感谢的事情吗?